2014年6月10日火曜日

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夏目漱石:未発表の直筆俳句発見

毎日新聞 2014年06月10日 20時02分(最終更新 06月10日 20時51分)


  夏目漱石(1867〜1916年)が1896(明治29)年に熊本県の旧制第五高等学校(現熊本大)に教師として赴任する際、前任地の愛媛県尋常中学校(現県立松山東高)時代の同僚に宛てた未発表の直筆俳句が和歌山市内の同僚の親族宅で見つかった。書簡に添えられていた。漱石研究者で国文学研究資料館(東京都)の野網(のあみ)摩利子助教(日本近代文学)が筆跡を鑑定した。野網助教は「未発表の俳句が見つかるのは珍しい。引っ越し間際でも書簡を出して心を込めた対応をしており、丁寧な人柄がうかがえる」と話している。


 同僚は、小説「坊っちゃん」(1906年)の舞台として知られる同尋常中で漱石と同時期に国文などを教えていた猪飼健彦(たけひこ)さん(故人)。ひ孫の松田智子さん(55)が10日、記者会見して明らかにした。松田さんの父で猪飼さんの孫、猪飼弘直さん(86)が自宅押し入れに、便箋1枚と短冊2枚、封筒をいずれも掛け軸に貼った状態で保管していた。


 便箋には健彦さんが漱石に別れのあいさつに訪れた際、不在にしていたことへのおわびと、健彦さんから贈られた短歌への謝辞が記されている。


 俳句は3句あり、このうち未発表は便箋末尾の「花の朝 歌よむ人の 便り哉(かな)」。短冊にしたためた「死にもせで 西へ行くなり 花曇」も未発表とみられる。残りの短冊の「其(その)夜又 朧(おぼろ)なりけり 須磨の巻」は全集に収められている。


 野網助教によると、「花の朝〜」は惜別のつらさを詠んだ健彦さんに対する礼を、「死にもせで〜」は東京から西へ西へ離れる複雑な心境が「花曇」に込められている。


 また、漱石が熊本赴任から3年後の1899年、旅先の大分県から送ったとみられる年賀状も見つかった。2人が交流を続けていたことがうかがわれる。


 漱石は1895年から1年間は尋常中で、翌年から4年3カ月間は五高でそれぞれ教べんをとった。「坊っちゃん」など小説を書く前は句作に励んでおり、近代俳句の祖といわれる正岡子規(1867〜1902)とも交流を深めた。【入江直樹、倉沢仁志】


 俳人で佛教大教授、坪内稔典さんの話 今回見つかった句は、漱石が俳人として世に知られるようになった頃のものだろう。彼は30歳前後に盛んに俳句を作り、知己だった正岡子規に批評してもらっていた。句の末尾に、松山時代の下宿先の名と俳号を兼ねた「愚陀佛(ぐだぶつ)」を使っているのもそのため。漱石の俳人としての気配をうかがい知ることのできる資料といえる。



☆ おお、坪内先生!!お久しぶりでございます。かつて俳句で楽しいご指導を長期にわたっていただきました上に賞もいただきまして、ありがとうございました。


☆その後、ご無沙汰の限りで申し訳ございません。なかなかネンテン先生の「うふふふふ」句のような「かろみ」にまでは到達できないですが、その後も、ぼちぼち苦吟を続けております。


☆しかし、これは、大きなニュースが出ましたね。とりあえず、先生ご注解になる岩波書店『漱石全集 第17巻』に書き加えさせていただきましたが、改訂版も視野に入ってきますね。


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